杉並シーダーズ

コーチ紹介

コーチ紹介INTRODUCE COACHS

三木 健一郎 監督

東京少年サッカー連盟(東京リーグ)会長
杉並中野(4ブロック) トレセンコーチ
(公財)日本サッカー協会公認 C級コーチ
東京都サッカー協会 4級審判員
イングランドサッカー協会(FA)
公認コーチングライセンス
オランダサッカー協会認定ベーシック
コース修了
ブラジル、サンパウロ州公認フットサル
ライセンス取得
メンタルトレーナー

好きな選手
ヨハンクライフ(オランダ) クライフターンの元祖。 私と誕生日が同じ4月25日 
 
一言
一意専心 (一つの事をとことんこだわってやり抜くこと)

福田 達樹 コーチ

(公財)日本サッカー協会公認C級コーチ
東京都サッカー協会4級審判員

好きな選手
中田英寿(元日本代表) 

一言
有言実行

高橋 大地 コーチ

公財)日本サッカー協会公認D級コーチ
東京都サッカー協会4級審判員

好きな選手
ガットゥーゾ(元イタリア代表)
ロナウジーニョ(元ブラジル代表) 

一言
もう一度強いシーダーズをつくろう!

大田 謙一 コーチ

JFAサッカーC級コーチ
フットサルC級コーチ
公認キッズリーダー
東京都サッカー協会4級審判員
トレーニング指導士
健康運動指導士
柔道整復師

好きな選手
中村俊輔(元日本代表)

一言
コーチとしてこの言葉を大切にしています!
「指導者は選手の未来に触れている
  by アンディ・ロクスブルグ」

吉村 淳 コーチ

(公財)日本サッカー協会公認D級コーチ
東京都サッカー協会3級審判員

好きな選手
ドゥンガ 

一言
やらない後悔よりやる後悔

宮川 明斗 コーチ

(公財)日本サッカー協会公認D級コーチ
東京都サッカー協会4級審判員

好きな選手
ミヒャエル・バラック(元ドイツ代表) 

一言
1つずつ、1歩ずつ確実に 

小森 勇輝 コーチ

(公財)日本サッカー協会公認D級コーチ
東京都サッカー協会4級審判員

好きな選手
イニエスタ

一言
一緒に頑張りましょう。よろしくお願いします!

三木監督 インタビュー

小学生の頃はどんな選手でしたか?
私は小学生時代は前から数えた方が早いくらい小さい子供でした。 3人兄弟の真ん中です。 サッカーを始めたのは小学校2年の時、サッカーの人数が足りないからと友達に誘われて始めました。 とにかく負けず嫌いだったので、沢山悔しくて自主練を一人で沢山しました。 夕方以降は新聞配達を終えた大学生のお兄さんを相手にひたすら胸を借りて遊んでもらいました。 可愛がってもらいました。 ただ、もて遊ばれていて、おちょくられていたので、悔しくて、悔しくて、どうすれば真剣に教えてもらえるか考えて考え抜いて、ある時、1対1の勝負で大学生の股抜きをしてゴールを決めてから、その後、本気でサッカーを教えてもらえるようになりました。 それからはいろいろ真剣に教えてもらって楽しかったですね。 リフティングはとにかくひたすらやりましたね。 友達と毎回、回数競ってました。 翌日、友達に回数負けてると、悔しくて、練習して、その翌日には逆転していました。 負けず嫌い病がもしあるならば、私はその重症患者だったかもしれないです。

子供達に伝えたいことはありますか?
サッカーのTVは唯一毎週土曜日の夕方にある三菱ダイヤモンドサッカーでブンデスリーガを30分見るのが楽しみでした。 何も無かった時代でしたから、 とにかくサッカーも試行錯誤でやっていましたね。 とにかく今と違って、見本が少なかったんですね。 コーチもあまり見本を見せられなくて。 僕らの方が上手かったですね。 だから、年上の自分より上手い人をいろんな公園を探して、申し込んで相手してもらっていましたね。 結構チャレンジャーでしたね。 それが、とにかく上手くなる近道だったのかもしれません。 何も無いからの知恵だったのかも、しれませんね。 チームも少なかったし、スクールも無い。専門の指導者もいない。少ない時代でした。 ある意味、サッカーに対して、ものすごくハングリーだったのかもしれません。 本当に好きな物に出会えたからハングリーになれたんだと思います。 そしてだからこそ、追求して追い求めて、50年間追い続けて頑張ってこれたんだと思います。 まだ答えはありませんが。 なんとなくわかりかけてきた感じが今です。 サッカーは海のように広くて深くて果てしない人生の学校。

福田コーチ インタビュー

小学生の頃はどんな選手でしたか?
小学生までは野球少年でしたのでサッカーを始めたのは中学生になってからです。小学生の高学年頃にちょうどJリーグが発足しサッカーに興味を持ったので、友達と遊びでサッカーをやっていましたが、それでも野球の方が楽しく白球を追いかけていました。
6年生で肘を壊してしまい、中学へ上がるタイミングでサッカー部へ入部。足が速かったこともあり、中学2年で大阪府の選抜に選ばれJ下部メンバーとともに戦いました。
今指導している子供達よりサッカーを始めたのは遅いですが、大事なことは“何事も考えるということ”、そして“コミュニケーション”です。
遊びでも練習でも1対1で相手に勝つためにはどうしたら良いか。
サッカーはチームプレーなので声をかけないと伝わらないことも多い。どうチームのメンバーに声をかけるのか。
考えて行動を変えていく、そして声に出していくことが非常に重要だと思っています。

子供達に伝えたいことはありますか?
サッカーが上手いとか下手とかではなく人間性が何よりも大事!!
ひたむきに練習しているか、全力でやっているか、人には優しく自分に厳しいか。
失敗すると人や環境などのせいにしてしまいがちですが、自分に矢印が向いている選手はやっぱり成長していきます。
そんなことを子供達に教えながら私自身も成長していきたいと思っています。

宮川コーチ インタビュー

小学生の頃はどんな選手でしたか?
サッカーを始めたのは7歳の頃。兄や友達とサッカーテニスをやる中で、ボールを蹴ることって面白い!!と思ったことがサッカーを始めたきっかけです。どんなこともそうですが楽しいと思うことが重要だと思います。
母がバレーボールをやっていたこともあり小学生の頃はバレーボールとサッカーの両方をやっていました。バレーボールのレシーブ感覚でサッカーではキーパーを担当。どちらかと言うとバレーボールを続けたかったです(笑)。ただ、中学に入り男子バレー部がなかったことからサッカー部に入部。しかし中学2年生から試合に出してもらえない日々が続き、その悔しさから毎日練習に励み、監督に試合に出して欲しいということを言い続けました。その結果、1対1ではだれにも負けなくなったし、何よりも気持ちで負けることは絶対にない選手になっていましたね。

子供達に伝えたいことはありますか?
今、本業で学童の先生をやっていますが、シーダーズで子供達と関わってきたことが今の仕事を選択するきっかけになっている。シーダーズが人生の選択するきっかけになったことに非常に感謝をしています。今もコーチとしてシーダーズに関わる中で、大人になってもサッカーってうまくなることを自分自身が感じているんです。だから上手くなりたかったら続けて欲しいと思っています。

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